2017-03-22 第193回国会 参議院 外交防衛委員会 第7号
個人の信条と公職は別なんだと、裁判官も宗教的信条があっても法に基づいて判決を下すというお話もありました。私もそのとおりだと思うんですね。 ただ、私、昨日紹介をした大臣の講演というのは、裁判官の中に憲法が正しいと信じている、こういう人がいると、そう言った後に、そういう裁判官がやっぱりおかしな判決を書くと、ここまで言っているんですよ。これ、憲法解釈じゃありません。
個人の信条と公職は別なんだと、裁判官も宗教的信条があっても法に基づいて判決を下すというお話もありました。私もそのとおりだと思うんですね。 ただ、私、昨日紹介をした大臣の講演というのは、裁判官の中に憲法が正しいと信じている、こういう人がいると、そう言った後に、そういう裁判官がやっぱりおかしな判決を書くと、ここまで言っているんですよ。これ、憲法解釈じゃありません。
○吉良よし子君 この裁判は、宗教的な信条が違うために研修を拒否したら、それを理由にして解雇されたと、そういう是非が問われた、争われたものなんですけれども、結局、宗教的信条の違うものを押し付けてはならないし、それは断ることができるということです。
宗教教育の研究者によりますと、この宗教的情操というのは、特定の宗教、宗派を超えた一般的、普遍的な宗教的信条であるというふうに説明されております。そして、その実態はといいますと、これも世取山さんが言われたように、人間の力を超えるものに対する畏敬、崇拝の念と、これが宗教的情操であるというふうに言われております。
ですけれども、多くは答える方の心のあり方に関係するものですから、自分の宗教的信条を心のあり方として児童に伝えようという意図を持ってやる場合と、そうじゃない場合とを、やはり小坂答弁のように、そのときそのときの状況に合わせて慎重に判断すべきことであると言っているのは、まさにそういうことなんです。
かつて、海部内閣において、左藤恵法務大臣、こちらの方も浄土真宗の僧侶、僧籍をお持ちであったということでありますが、この方は、大臣を退任されたときに、自分は在任中、みずからの宗教的信条から死刑執行命令書にサインはしなかった、死刑執行停止を続けるべきである、また、法務大臣がサインする現在の制度はおかしい、法務大臣を退任されたときにこのような発言をされております。
信仰の自由や宗教的良心の自由については憲法二十条で保障されているのだとしましても、十九条からそれらの自由を排除すべき必然性はなく、十九条において、宗教的信条をも含めて、包括的に内面の思想の自由というものを保障したものであるというふうに解すればよいというふうに思われます。 そこで、思想、良心の自由の保障と限界に進みたいと思います。
いかなる宗教的信条や政治的見解によっても正当化できるものではありません。この野蛮なテロを根絶することが、人類がこの地球上で平和に生きていく根本条件であることは言うまでもありません。 テロを根絶するためには、国連が中心となって、国連憲章と国際法に基づき、テロ犯罪の容疑者、犯罪行為を組織、支援した者を逮捕し、裁判にかけて厳正に処罰するという国際的仕組みをしっかりと築くことであります。
一つは、このようなテロは絶対に許されない卑劣な犯罪行為であること、二つは、いかなる宗教的信条や政治的見解によっても正当化できるものではないこと、そして三つには、このような野蛮なテロを根絶することは、二十一世紀に人類がこの地球上で平和に生きていく根本条件の一つであるということを明らかにしたわけであります。
我が党は、テロ行為は、いかなる宗教的信条、政治的見解によっても絶対に正当化することができない卑劣な犯罪行為であり、その根絶は、二十一世紀に人類がこの地球上で平和に生きていく上で一つの根本条件というべき重大な意義を持つもの、こういうふうに考えております。 この条約は、国際テロ組織の資金封じ込めを図るものであり、賛成できるものであります。
去る九月十一日にアメリカで起こった同時多発テロは、いかなる政治的見解や宗教的信条によっても正当化できない憎むべき蛮行であります。野蛮きわまるテロ行為を深い憤りを持って糾弾するとともに、テロの犠牲者、負傷者と御家族、関係者の皆さんに心からの哀悼とお見舞いを申し上げるものであります。
つまり、私は、自分の政治的または宗教的信条で国旗やこれはやらないよと子供に対して教育をする、これはその限りにおいて親は自分の子供を思うように育ててよろしいんです。しかしながら、そのことがその子供にとって本当に最善の利益であるかどうか、これに関してはより教育の専門家であるとかいう方たちのアドバイスもあり、ここでいろいろ調整されなければなりませんよと。
デンマークは、脳死法制定後、家族が脳死を受け入れられない場合は厳格に適用する必要はないという通達を出しておりますし、米国のニュージャージー州は、宗教的信条を理由とする脳死判定拒否権を認めております。このようなことは考えられないでしょうか。 脳死を死としない猪熊案に対しては、生きている人から臓器を摘出するなんて耐えられないとの強い批判があります。
新進党幹事長代理の市川雄一氏が記者の質問に対して語っているんですが、信者が教団としての政党、候補の支持決定に従わなくても、宗教的信条とは別だから排除はしません、出ていくという人がいても出入り自由だから問題ないと、こうおっしゃっているんです。私はこれを読んだときびっくりしたんです。
「今回の場合、宗教的信条の妥当性が問題なのではなく、むしろ新たな信者を獲得するために用いられる方法及び新たな信者が受ける処遇の適法性が問題であることを確信し」こういうものをつくったんだと。 信教の自由というから、宗教という名のもとにいろんな犯罪を起こす宗教団体をどう防止していくかという点について、そういう配慮をしながら、ある程度の基準がなければなかなかそういう問題が解決されていけない。
また、信者が教団としての政党、候補の支持決定に従わなくても、宗教的信条とは別だから排除はしません。「出て行く」という人がいても「出入り自由」だから問題ない」。これは多くの国民が読んでいる一流の一般紙の中に堂々と出たことであります。
つまり公明党さんの選挙は、創価学会という宗教団体が宗教的信条の表現として選挙運動をやっているのではないか。 公権力の、議員一人一人もまあここで言う公権力というか、政治上の権力というのは、もうこれは政府というふうに限定的に解釈した方がいいというような説もあるのです。これは後で言う背景があるのです。
すなわち、政府は、特定の宗教的信条や党派的な政策を教育の場に持ち込むことは厳に慎むべきでありますけれども、しかし同時に、何が教えられようと政治は無関心であってよいというのは政治の責任放棄であります。政府は、適切な施設や制度を教育の場に提供するのみでなく、憲法の理念、特にデモクラシーの理念を損なうような考えが教育の場に広がっておれば、それを是正する措置を講ずべきであります。
それから宗教の問題は、日本では宗教的信条によって差別をす るというふうなことはほとんどないんじゃないか。
思うに、白浜さんは、宗教的信条に基づく豊かな人間愛と、この厳然たる原爆体験を胸に刻み込んで政治生活を貫き通されたのでありまして、この政治姿勢こそ政治家白浜仁吉の真骨頂であるとともに、私たち政治の道を歩む者すべてが、もって範とすべきところと信じてやみません。(拍手) 私は、ここで、白浜さんの霊前にお誓いいたします。